崇神7年(594) |
御祭神として石上大神を仰ぎ、石上布留の高庭に祀られた。 |
ヤマト王権 |
武器庫としての役割を担い、王権の軍事面を統括した物部氏の氏神となり、一族の信仰を集めた。 |
仁徳天皇 |
布留宿禰の祖・市川臣を神主とする。 |
天武3年(674) |
天武天皇が忍壁皇子を遣わし、諸家の宝物を各子孫に返す勅を出す。 |
天平2年(730) |
聖武天皇が神戸租稲3800余束を寄進。 |
神護景雲2年(768) |
神封50戸を奉る。 |
延暦23年(804) |
社蔵の器仗(武器)を兵庫(武器庫)に遷すが、怪異なことが多発したので、元に戻したとされる。
⇒ 延べ157,000余人を要したと伝えられる
⇒ 当時それほど多量の神宝があったと推定される。 |
大同元年(806) |
80戸の神封(律令制で神社に俸禄として支給した戸)を有す。 |
嘉祥3年(850) |
正三位を授けられる。 |
貞観元年(859) |
従一位を授けられる。 |
貞観9年(867) |
正一位に昇叙せらる。 |
永保元年(1081) |
白河天皇が皇居の神嘉殿を移設し、拝殿とする。 |
文保2年(1318) |
楼門を建立。 |
明治7年(1874) |
大宮司・管政友が拝殿の背後にある禁足地か神剣を発掘した。 |
明治11年(1878) |
幣殿造営。 |
大正2年(1913) |
本殿造営。 |