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纒向古墳群

Makimuku Tumuli Cluster

国指定史跡

前方後円墳の発祥の地

MEMO

纒向古墳群の構成について・・・

  • 「奈良検定公式ガイドブック」には、纒向石塚古墳、纒向矢塚古墳、勝山古墳、東田大塚古墳の4基で構成されると記載される。
  • 国指定文化財等データベース」の詳細解説では、上記の4基にホケノ山古墳等を加えて構成すると明記されている。
  • Wikipedia」では、箸墓古墳を盟主墳とし、上記の5基と併せて、合計6基としている。

所在地

  • 三輪山の北西に位置する纒向遺跡内の北西部になる。
  • 大和古墳群※の一つ。
  • 巻向駅の西方、纒向小学校の周辺に纒向石塚古墳、纒向矢塚古墳、勝山古墳、約200m南方に東田大塚古墳がある。
  • 纒向遺跡内南東の箸中地区に、箸中古墳とホケノ山古墳がある。

纒向古墳群 位置図

※大和古墳群

  • 奈良盆地の東南部に分布するひとつの古墳群の名称(萱生古墳群ともいう)として使用されてきたが、これらの地域から桜井市域にかけての古墳調査が急速に進歩してきた。
    ⇒ 古墳時代の初期から前期への系譜的関係が推定できるようになってきた。
  • 従来の呼称である大和古墳群、柳本古墳群、纒向古墳群(箸中古墳群)を一体的な関係で捉えることが可能となってきた。
    ⇒ これら3つの古墳群を総称する名称として「大和(おおやまと)古墳群」が提唱されるようになった。
    ⇒ 「おおやまと」古墳集団の名称も使われている。

大和古墳分布図(纒向古墳群)

構成

名称 適用 形式 時代 全長 石室 主な遺構・遺物 備考
纒向石塚古墳 国史跡 纒向型前方後円墳 3世紀初頭 93m 周濠、土器群、鋤、鍬、建築部材、鶏形木製品 墳丘見学可
ホケノ山古墳 国史跡 纒向型前方後円墳 3世紀中頃/6世紀後半 80m 石囲い木廊、横穴式石室、舟形木棺、同向式画文帯神獣鏡 墳丘見学可
勝山古墳   前方後円墳 3世紀前半~中頃 115m 周濠、庄内2式・3式期土器、布留0式土器、U字形木製品 墳丘見学可
纒向矢塚古墳   纒向型前方後円墳 3世紀中頃 96m 周濠、庄内3式期の土器群 墳丘見学可
東田大塚古墳   前方後円墳 3世紀後半 120m 周濠状遺構、布留0式期新相期の井戸・溝、木製品、鹿角  
箸墓古墳(箸中山古墳)   前方後円墳 3世紀後半 272m 現存最古の木製輪鐙、土器 陸墓

特徴

 纒向型前方後円墳
  • 寺沢薫が提唱、3世紀に九州から関東にかけて分布しているとされる。
  • 円墳の墳丘に対して、その方丘部の長さが円丘部の径の2分の1と短く、高さも円丘部に比して低い。
  • 以降に中心となる定型化した古墳の起源と考えられている。

纒向型前方後円墳の特徴
項目 纒向石塚古墳 ホケノ山古墳 纒向矢塚古墳
墳形 【墳丘図】纒向石塚古墳 【墳丘図】ホケノ山古墳 【墳丘図】纒向矢塚古墳
概要
  • 円丘部径の半分の長さの突出部を持つ全長93mの前方後円墳。
  • 幅20mの周濠は突出部前面を幅6mに狭める。
  • 突出部端は後世の河川氾濫で削られており、未確実。
  • 墳丘東側に幅20mの周濠がめぐり、完形土器群があった。
  • 突出部端は攪乱のため、未確認。

(引用:遺跡を学ぶ 051 『邪馬台国の候補地 纒向遺跡』新泉社)

参考文献

  • 奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック 網干善教 監修 奈良商工会議所 編 山と渓谷社
  • 奈良県の歴史散歩 (上)奈良南部 [歴史散歩29] 山川出版社
  • シリーズ「遺跡に学ぶ」051 『邪馬台国の候補地 纒向遺跡』 石野博信 新泉社
  • 新近畿日本叢書 大和の考古学第2巻 大和の古墳Ⅰ 奈良県橿原考古学研究所監修 泉森皎編 近畿日本鉄道株式会社
  • 月刊 大和路 ならら 2015.8月号「ああ、いとしの古墳時代 天理・桜井編」

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<所在地>

  • 桜井市箸中ほか

 

<アクセス>

  • 巻向駅 ~ 徒歩15分

 

<入場>

  • 時間 自由
  • 料金 無料