所在地
発掘調査
第1次調査 昭和46年(1971)
第2次調査 昭和50年(1975)
第3次調査 昭和51年(1976)
- 前方部南側、周濠を検出。
- 古式土師器、柱材、板材、異形木製品が出土。
第4次調査 平成元年(1989)
- 古墳の公有化・整備事業(昭和61年から開始)に伴う調査。
- 前方部北東隅墳丘・周濠・導水溝、北側後円部~くびれ部墳丘・周濠を検出。
- 墳丘の全長、形状が明確になる。
- 古式土師器、柱材、鋤、鍬、横槌、槽が出土。
第5次調査 平成3年(1991)
- 第4次に引き続き、古墳の公有化・整備事業に伴う調査。
- 北側・周濠外肩部を検出。
- 古式土師器が出土。
第6次調査 平成4年(1992)
- 第4・5次に引き続き、古墳の公有化・整備事業に伴う調査。
- 後円部北側・周濠を検出。
- 古式土師器が出土。
第7次調査 平成5年(1993)
- 第4・5次に引き続き、古墳の公有化・整備事業に伴う調査。
- 北側・周濠外肩部、後円部北東側墳丘を検出。
- 古式土師器が出土。
第8次調査 平成8年(1996)
- 古墳の公有化・整備事業の第1期工事の完了を受けて、第2期整備事業に伴う調査。
- 箸墓古墳に先行する出現期古墳として初めて段築の存在を確認。
- 墳丘の断ち割り調査から築造時に混入したと考えられる多くの土器資料が得られた。
- 後円部1段目の段築平坦面、墳丘盛土、墳丘下の遺構面を検出。
- 古式土師器が出土。
第9次調査 平成17年(2005)
- 一部未買収のまま残されていた前方部および周濠部分における資材置場の造成事業に伴う調査。
- 前方部北東側周濠外肩部、石塚東古墳、方形周溝墓2基を検出。
- 古式土師器が出土。
年代・埋葬者など
- 被葬者は不明
- 築造時期については、庄内1式期(3世紀前半)とする説と、庄内3式期(3世紀中頃)で埋葬を布留0式(3世紀後半)とする説がある。
纒向編年
纒向遺跡において、発掘調査を担当した奈良県立橿原考古学研究所石野博信と、豊岡卓之による纒向遺跡出土の弥生土器・土師器を分類・整理して得られた編年である。1類から5類に区分されるが、暦年代については必ずしも考古学会で定説とは認められていない。
暦年代 纒向編年 土器出土遺構 対応する土器型式 180―210年 纒向1類 北溝北部下層
灰粘土層弥生5様式 210―250年 纒向2類 辻地区土抗2 庄内1式(庄内古式) 250―270年 纒向3類 南溝南部
黒粘土(1)下層庄内2式(庄内新式) 270―290年 纒向4類 辻地区土抗4下層 庄内3式(庄内新新式)
布留0式290―350年 纒向5類 辻地区土抗4上層
辻地区土抗7布留1式
埋設設備
- 第二次大戦中に、高射砲陣地の設営のため、埋設施設と墳丘の上部が大きく削平されている。
参考文献
- 奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック 網干善教 監修 奈良商工会議所 編 山と渓谷社
- 奈良県の歴史散歩 (上)奈良南部 [歴史散歩29] 山川出版社
- シリーズ「遺跡に学ぶ」051 『邪馬台国の候補地 纒向遺跡』 石野博信 新泉社
- 新近畿日本叢書 大和の考古学第2巻 大和の古墳Ⅰ 奈良県橿原考古学研究所監修 泉森皎編 近畿日本鉄道株式会社
<所在地>
- 桜井市太田字石塚
<アクセス>
- 巻向駅 ~ 徒歩15分
<入場>
- 時間 自由
- 料金 無料