時代 |
内容 |
崇峻元年(588) |
真神原(まかみがはら)の衣縫造(きぬぬいみやつこ)の祖先の樹葉(このは)の家を壊して、蘇我馬子が造営開始。 |
推古4年(596) |
法興寺(または元興寺ともいう)が完成。
⇒ 蘇我馬子の息子・善徳が寺司、前年に来日した高句麗の慧慈(えじ:「恵慈」ともいう)と百済の恵聡(えそう:「慧聡」ともいう)の2人が法要の責任者に任ぜられる。 |
推古14年(606) |
鞍作止利(くらつくりのとり)が制作した釈迦如来坐像を中金堂に安置した。 |
皇極4年(645) |
蘇我氏本宗家滅亡後は官寺の扱いを受ける。
⇒ 飛鳥四大寺(他に、川原寺、大官大寺、薬師寺)
⇒ 飛鳥五大寺(他に、豊浦寺、川原寺、大官大寺、坂田寺) |
養老2年(718) |
平城京へ移転し、元興寺となる。残った寺は、本元興寺として存続。 |
建久7年(1196) |
落雷による火災で焼失。急速に衰退。 |
文政4年(1147) |
建物が一切なく、釈迦如来坐像が雨ざらしの露坐となっていたという記録がある。 |
文政8年(1825) |
安居院本堂が建てられる(現在の本堂)。 |