飛鳥寺

蘇我氏の氏寺である法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身。本尊の釈迦如来は通称「飛鳥大仏」で親しまれる。

飛鳥寺
(2012/10/27撮影)
Asuka-dera Temple
国指定史跡
 別称:法興寺、元興寺
 創建:推古4年(596)
 蘇我氏の氏寺

 基本

  • 山号 : 鳥形山
  • 院号 : 安居院
  • 宗派 : 真言宗豊山派
  • 開基 : 蘇我馬子

 本尊

  • 釈迦如来

 札所

  • 新西国三十三箇所霊場 9番
  • 聖徳太子霊跡 11番

 所在地

  • 飛鳥川の東に位置する。
飛鳥寺 位置図
飛鳥寺 位置図
 

 歴史

時代 内容
崇峻元年(588) 真神原(まかみがはら)の衣縫造(きぬぬいみやつこ)の祖先の樹葉(このは)の家を壊して、蘇我馬子が造営開始。
推古4年(596) 法興寺(または元興寺ともいう)が完成。
⇒ 蘇我馬子の息子・善徳が寺司、前年に来日した高句麗の慧慈(えじ:「恵慈」ともいう)と百済の恵聡(えそう:「慧聡」ともいう)の2人が法要の責任者に任ぜられる。
推古14年(606) 鞍作止利(くらつくりのとり)が制作した釈迦如来坐像を中金堂に安置した。
皇極4年(645) 蘇我氏本宗家滅亡後は官寺の扱いを受ける。
⇒ 飛鳥四大寺(他に、川原寺、大官大寺、薬師寺)
⇒ 飛鳥五大寺(他に、豊浦寺、川原寺、大官大寺、坂田寺)
養老2年(718) 平城京へ移転し、元興寺となる。残った寺は、本元興寺として存続。
建久7年(1196) 落雷による火災で焼失。急速に衰退。
文政4年(1147) 建物が一切なく、釈迦如来坐像が雨ざらしの露坐となっていたという記録がある。
文政8年(1825) 安居院本堂が建てられる(現在の本堂)。

 

 伽藍

飛鳥寺式伽藍配置
飛鳥寺 伽藍配置
  • 中門からでる回廊が塔と3つの金堂を囲む。
  • 回廊の北側(外)に講堂をもつ。
  • 塔は中門、中金堂、講堂を結ぶ一直線上にあり、左右(西・東)に金堂をもつ。
  • 塔は仏舎利を埋納するという最も重要な施設という考え方が成立している。
  • 同様式をもつ例は国内にはない。
  • その起源は、清岩里廃寺(高句麗)や王興寺(百済)と推定されている。
再現された飛鳥寺伽藍模型
再現された飛鳥寺伽藍模型
(引用:明日香村公式サイト 飛鳥寺解説書
現在
  • 中金堂跡に本堂が建つ。
  • 本堂の南西に観音堂として思惟殿、そのさらに南側に鐘楼がある。
飛鳥寺 境内図
飛鳥寺 境内図

名称 建立時期 詳細
本堂
思惟殿(観音堂)
鐘楼
新西国三十三箇所霊場 9番
思惟殿(観音堂) 本尊:聖観世音菩薩
聖徳太子霊跡 11番
本堂 本尊:釈迦如来

 重要文化財

彫刻
名称 適用 詳細
銅造釈迦如来坐像 本堂

 飛鳥寺跡

  • 昭和31年(1956)~昭和32年(1957)に、奈良国立文化財研究所(現:奈良文化財研究所)が第1~3次の発掘調査で主要な堂塔を発見。
  • その後、奈良文化財研究所や明日香村教育委員会、奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査を継続し、伽藍の様子や寺域の範囲など徐々に明らかになりつつある。
寺域
  • 全域に調査が及んでいないので未確定であるが次のように推定されている。
    1. 東限:北側のコーナー部分は確認できている。
    2. 西限:西門から続く塀のライン。
    3. 南限:南門のさらに南方の石敷の広場。
    4. 北限:中金堂の約220mが北側。
  • 南門から東西に延びる築地塀は、寺域東西のコーナーでやや北東に屈曲して、さらに北に延びる形態であり、五角形に近い形と考えられる。
  • 西辺約290m、北辺約210m、東辺約250m、東南辺約90m、南辺約170m。
  • 創建当時からなのか、後に変更したのかは不明。
伽藍
  • 伽藍地(堂塔や門が建つ敷地)は寺域の中心ではなく、西南に偏っている。
  • 伽藍の中軸線も寺域全体の西より3分の1に位置する。
  • 門は西門と南門が確認されているが、西門の方が南門より規模が大きいのが特徴(通常は南門の方が大きい)。
  • 西門の前には中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「飛鳥寺の槻の木の広場」だと推定されている。
  • 寺域東南部には、礎石建ち建物が確認され、道昭が建立した東南禅院と考えられている。
飛鳥寺跡の寺域と伽藍配置
飛鳥寺跡の寺域と伽藍配置
  • 心礎(塔の中心に据える心柱を支える礎石)は地表面から約3m下に据えられ、東西約2.6m、南北約2.4mの大きさであった。
  • 心礎には中央に舎利を納めた孔があり、多くの埋納物が出土した。
  • 埋納物は、建久7年(1196)、前年に焼失した飛鳥寺の塔の心礎から掘り出した舎利と荘厳具を弁暁上人が再び納めたものと推定。

塔心礎
心礎は地下や地表に据えられるが、時代が古いほど(初期の寺院ほど)、地中深くに心礎が据えられる傾向がある。

塔心礎埋納物(1)

塔心礎埋納物(2)
出土瓦
  • 飛鳥寺は国内初の本格的な瓦葺建物。
  • 崇峻元年(588)に百済から僧侶や寺工等ともに瓦博士4人が訪れ、造瓦技術をもたらした。
  • 寺院地の南東で飛鳥寺の瓦を焼いた窯跡が発見された。
  • 軒丸瓦の紋様は、古代では蓮の花をモチーフにした蓮華紋が多く使用される。

飛鳥寺創建瓦(左:花組/右:星組)
創建期の素弁(蓮華紋の花びらが1枚もの)の軒丸瓦には通称「花組」と「星組」と呼ばれる2系統の紋様がみられる。素材となる粘土やその作り方が異なる。

(引用:明日香村公式サイト 飛鳥寺解説書)

 堂内

本尊
重文 銅造釈迦如来坐像
諸尊
  木造阿弥陀如来坐像
  木造聖徳太子孝養像


釈迦如来坐像
Sitting Statue of Shakanyorai
需要文化財
飛鳥寺 飛鳥大仏(釈迦如来坐像)

(2012/10/27撮影)


  • 銅造、像高:275cm
  • 丈六仏
特徴
  • 冷厳な印象を与える面長な顔に銀杏形の目を持ち、口元には神秘的な微笑みを漂わせているされる。
  • 創建当時の位置から動いていない。
    ⇒ 国内最古の仏像
歴史
  • 推古13年(605)、推古天皇が発願し、鞍作止利に命じて造らせる。
  • 推古14年(606)、完成し、中金堂に安置。
    ⇒ 実際の製作は、推古17年(609)完成とされている。
  • 建久7年(1196)、落雷による火災で粉砕
    ⇒ 造り直したものが現存する。
    ⇒ 当初の部分で残っているのは、目と額の部分と右手指3本とされている。

丈六仏

丈六とは一丈六尺のことで、約4.8m。一般的に、立像の場合は一丈六尺、坐像の場合は八尺(2.5m)以上の仏像のことを「大仏」と呼ぶ。
飛鳥寺の丈六仏は像高が約3mの坐像で八尺を超えているので「飛鳥大仏」と呼ばれるようになった。
飛鳥大仏復元図
飛鳥大仏復元図 (引用:明日香村公式サイト 飛鳥寺解説書)

  • 昭和31年(1956)・昭和59年(1985)の調査により、竜山石(兵庫県高砂市付近産)の切石による巨大な台座とその上に宣字形須弥座が据えられていることがわかった。
  • 法隆寺金堂本尊(釈迦三尊像)の意匠とよく似た形である。

 案内

住所

  • 高市郡明日香村飛鳥682

交通

  • 橿原神宮前駅 ~ バス:飛鳥駅行 「飛鳥大仏前」下車すぐ

拝観

  • 時間 9:00~17:15(10~3月:~16:45)
  • 料金 境内自由、本堂拝観は350円