時代 |
内容 |
舒明元年(629) |
高句麗の僧・慧灌(えかん)が創建したと伝わる。 |
天平7年(735) |
聖武天皇の勅願により行基が寺観を整える。
⇒ 平城京の鬼門を守る寺とされた。 |
寛平7年(895) |
理源大師聖宝の弟子・観賢(かんげん)が学問道場を開いて中興する。 |
治承4年(1180) |
平重衡の南都焼討で伽藍すべてを焼失する。
⇒ 礎石のみが残り、付近の古墓が列をなすだけという状態になる。 |
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火災などもあり、次第に寺運が衰え、荒廃が進む。 |
鎌倉時代 |
良恵、叡尊や忍性が諸堂を復興した。
⇒ 十三重石塔はそれに先立つ再建であり、民衆信仰の結晶であったと伝わる。 |
建長7年(1255) |
大仏師・善慶に丈六文殊菩薩像を造らせて仮本堂に安置した。 |
弘長元年(1261) |
新本堂に移し、文殊を獅子座に据える。
⇒ その胎内に『大般若経』、仏舎利、僧尼の願文、殺生禁断の下知状などを納入。 |
延徳2年(1490) |
出火で本尊・文殊菩薩を焼失。 |
永徳10年(1567) |
松永久秀と三好三人衆との戦乱で再び伽藍を焼失。 |
寛文7年(1667) |
現本堂を再建。経蔵にあった文殊菩薩騎獅像が本尊として移される。 |