所在地
発掘調査
昭和47年(1972)
- 彩色壁画が発見される。⇒ 国内初の壁画古墳
- 昭和37年(1962)頃、村人がショウガを貯蔵しようと現在の墳丘南側に直径60cmの穴を掘ったときに、凝灰岩の四角い切石が見つかったことが発掘の発端になった。
- 古墳自体は、鎌倉時代頃に盗掘を受けているが、壁画の彩色は鮮やかに残り、副葬品の一部も検出された。
平成17年(2005)
- 墳丘裾をめぐる周溝の発見により、直径23mの円墳であることが判明。
- 墳丘は中世以降の徐々に削り取られて、下段の墳丘はほとんど失われている。
- 古墳の下の遺物包含層から7世紀中頃の土器が版築の最下層から藤原宮朝(694~710)の須恵器が出土
⇒ 築造時期を推定する手がかりとなっている。
国宝・重要文化財
国宝
- 壁画4面
重要文化財
- 出土品
年代・埋葬者など
- 被葬者:天武天皇の関りをもつ皇族をはじめとした有力氏族と推定
- 横口式石槨の形態や出土遺物などから、7世紀末から8世紀前半に造営されたものと推測される。
埋葬施設
- 横口式石槨、切石組合せ式、凝灰岩
- 内側の寸法:長さ265.5cm、幅103.5cm、高さ113.4cm
- 南壁が閉塞石を兼ね、その前面に墓道が掘削される。
- 墓道の幅は石槨との接合部で2.4m
- 石槨の内部には漆喰が塗られ、壁画が描かれる。
- 側壁と奥壁に四神図と男女人物像、日月像、天井には星宿図が描かれる。
⇒ 飛鳥時代後半の服装を知る上で貴重な資料。
[四神図と日月像]
- 四神は中国の思想に基づき、古来天子の象徴として用いられる。
- 四方を鎮護し、東西南北の星座の形から具像化された(東:青龍、西:白虎、南:朱雀、北:玄武)
- 青龍の上に日像、白虎の上に月像が描かれている。
[人物群像]
- 男子4人、女子4人各1組の群像が東西両壁に2組ずつ(計16人)描かれている。
- 男子群像は、蓋(きぬがき)、柳筥(やなぎばこ)、床凡(しょうぎ)、鉾のようなものを持っている。
- 女子群像は、2ずつが東壁では団扇(だんせん)・払子(ほっす)、西壁では翳(さしば)・如意を持っている。
- すぐれた筆致(ひっち)で細かく描かれ、国内美術、絵画史上すぐれた作品と評価されている。
[星宿図]
- 天井石の中央、約1m四方の範囲に描かれる。
- 直径9mmほどの金箔を円形に貼りつけ朱線で結び、星座を表現している。
- 東西南北7宿ずつ、計28宿を描いている。
副葬品
保存と展示
- 壁画保存のため、墳丘南側に保存施設を設置し、現地で保存していた。
- 平成13年(2001)頃から微生物による汚染が進行し、壁画の保存環境が著しく変化。
⇒ 漆喰層の劣化が認められたので、文化庁は新たな保存方法を検討 - 平成16年(2004)、白虎が著しく劣化していることが判明、社会問題となる。
⇒ 現地での保存と修理が困難であることから、壁画を石材ごと取り出し、別の施設で修理することになる。 - 平成18年(2006)から石室解体に向けての発掘調査が開始される。
関連リンク
参考文献
- 奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック 網干善教 監修 奈良商工会議所 編 山と渓谷社
- 奈良県の歴史散歩 (下)奈良南部 [歴史散歩29] 山川出版社
- 飛鳥史跡事典 木下正史 吉川弘文館
<所在地>
- 高市郡明日香村平田
<アクセス>
- 飛鳥駅 ~ 徒歩10分
<入場>
- 時間:自由
- 料金:無料