元興寺

日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が 平城遷都にともなって、 蘇我氏寺から官大寺に性格を変え、 新築移転された寺院。

世界文化遺産(古都奈良の文化財)
[平成10年(1998)登録]

国指定史跡

 基本

  • 極楽坊、塔跡、小塔院跡の3つのエリア
  • 南都七大寺
  • 山号 : なし
  • 院号 : なし
  • 宗派 : [極楽坊]真言律宗 [塔跡]華厳宗
  • 開基 : 蘇我馬子
  • 極楽坊(中院町)のみが世界遺産に指定

 本尊

  • [極楽坊]  智光曼荼羅図
  • [塔跡]   十一面観音

 札所

  • 大和北部八十八ヶ所霊場 9番
  • 西国薬師四十九霊場 5番

 所在地

  • 猿沢池の南に連なり、古い家並みが残る奈良町(ならまち)一帯が元々、古代の大寺・元興寺の境内であった。
  • 現在は、中院町に極楽坊(真言律宗)、芝新屋町に塔跡(華厳宗)、西新屋町に小塔院跡の3寺に分かれている。

元興寺 位置図
元興寺 位置図
元興寺 位置図

 歴史

時期 内容
養老2年(718) 蘇我馬子が造営した法興寺(飛鳥寺)を平城京に移転

  • 興福寺の南に隣接して広大な寺地を誇る。
  • 大安寺・薬師寺・興福寺・元興寺で都の四寺。
平安中期以降 次第に衰える。
平安末期 浄土教が盛んになると智光曼荼羅が知られるようになる。
⇒ 三論宗の学僧・智光が住んでいた僧房の一室に祀られていた。
⇒ 曼荼羅堂または極楽坊と呼ばれるようになった。
応安元年(1368) 興福寺大乗院・孝寛の帰依を得た西大寺・光円が入寺してから真言律宗の寺となり、大乗院の庇護を受ける。
応永18年(1411) 東大寺西南院の門を東門として移設。
宝徳3年(1451) 土一揆が蜂起して、金堂、小塔院を焼く。
寛正3年(1462) 金堂の立柱上棟によって再興する。
文明4年(1472) 大風で再建した金堂が倒れる。
総体として衰退する中で、寺地は次第に、民地に浸食され、五重塔と観音堂(中門堂)の一郭、小塔院、極楽坊の三寺に分立する結果となる。
慶長7年(1602) 徳川家康は百石の朱印地を与え、保護につとめる。
安政6年(1859) 五重塔、観音堂が焼失。
昭和2年(1927) 発掘調査により、心礎から古銭・勾玉などが出土
⇒ 塔址土壇出土品

 伽藍

最盛期
伽藍配置と現在の奈良町
伽藍配置と現在の奈良町
現在
  • 宝徳3年(1451)の土一揆に巻き込まれて金堂を焼失し、寺盛を失うなか、戦国時代末から江戸時代の初頭にかけて、境内の中に家が建てられるようになり、これが現在の奈良町(ならまち)と知られる町屋街を形成した。
  • 極楽坊は、本来僧侶の居住施設にあたる僧坊の一部が発展したものである。
  • 阿弥陀信仰が高揚すると、浄土の世界を見ることができる曼荼羅に対する信仰が盛り上がり、多くの参詣者が訪れるようになる。
極楽坊
  • 正門にあたる東門をくぐると、正面に本堂、その背後に禅室がある。
  • 鎌倉時代初期までは、細長い一棟の僧房であった。
  • 寛元2年(1244)に、中央部の馬道(めどう)から東の曼荼羅堂(極楽堂)の部分を改築、これが本堂である。
  • 極楽堂、禅室の南側には、昭和63年(1988)に修景整備された浮図田(ふとでん)がある。
名称 建立時期 詳細
極楽堂(本堂) 詳細ページ
禅室 詳細ページ
東門 click
北門
小子坊 click
元興寺(極楽坊)境内図
元興寺(極楽坊) 境内図


東門
Eastern Gate
重要文化財
元興寺 東門
(2012/12/28撮影)

  • 四脚門(1間1戸) 切妻造
  • 本瓦葺
  • もとは東大寺西南院にあったものを移築
  • 瓦の箆書きから応永18年(1411)移築と推定


小子坊
Shoshibo
県指定文化財
元興寺 小子坊
(引用:公式サイト

  • もとは禅室北側にあった東室南階小子房の一部を改築して、北厨房あるいは台所と称される。
  • 寛永3年(1663)、極楽院庫裏として改築
  • 昭和24年(1949)、本堂の南側に移転増築して極楽院保育所として使用
  • 昭和35年(1960)、現位置に移動


浮図田
Futoden
仏塔が稲田のごとく並ぶ場所
元興寺 浮図田
(2012/12/28撮影)

  • 寺内及び周辺地域から集めた約2,500基の石塔・石仏類(総称して浮図)を新たに田圃の稲のように整備されたもの。
  • 板碑五輪塔を中心に、供養塔、阿弥陀仏、地蔵尊などの石仏類で構成。
  • 鎌倉時代末期から江戸時代中期のものが多い。
塔跡
  • 観音堂跡に建てた本堂、基壇と17個の礎石の塔跡がある。
  • 平成22年(2010)に復元した嘉元年(1257)の銘がある石燈籠『啼き燈籠』がある。

啼き燈籠

延享年間(1744~1747)今の大丸呉服店その頃京の伏見に下村家あり 代わりの燈籠を奉納して古燈籠を申し請いて自宅に運ぶ
尓来(それ以来)夜毎家鳴り震動して家人怖れを為しその音を聞くに燈籠より発したれば 元の如く此所に安置したりと伝ふ

(現地案内板)

元興寺(塔跡) 石碑
石碑 (2012/12/31撮影)
元興寺(塔跡) 礎石
塔跡礎石 (2012/12/31撮影)
元興寺(塔跡)小堂
元興寺(塔跡)小堂 (2012/12/31撮影)
元興寺(塔跡)啼き燈籠
啼き燈籠 (2012/12/31撮影)
小塔院跡
  • 仮本堂が建つ。

 国宝

建造物
名称 適用 詳細
極楽坊本堂 詳細ページ
極楽坊禅室 詳細ページ
極楽坊五重小塔 click
彫刻
名称 適用 詳細
木造薬師如来立像 [塔跡]奈良国立博物館委託 click

 重要文化財

建造物
名称 適用 詳細
極楽坊東門 click
絵画
名称 適用 詳細
板絵著色智光曼荼羅図
附:絹本著色智光曼荼羅図
click
彫刻
名称 適用 詳細
木造阿弥陀如来坐像
木造弘法大師坐像
木造十一面観音立像
木造聖徳太子立像 善春作 [塔跡]
奈良国立博物館委託
古文書・考古資料・歴史資料
名称 適用 詳細
元興寺塔址土壇出土品 [塔跡]
奈良国立博物館委託

 寺宝


薬師如来立像
Standing statue of Bhaisajyaguru
国宝
元興寺 薬師如来立像
(引用:なら仏像館 名品図録)

  • 木造 素地 像高164.5cm
  • 平安時代(9世紀)作
  • 檜の一木造で像身から台座蓮肉部まで、木心を像背に外した一材から彫出し、螺髪や両手首先を付ける。
  • 体部背面には細長い長方形の背刳り穴があけられ、その蓋板は長い間亡失していたが、近年発見された。
  • 肩幅の広いゆったりした体型、渦文や翻波式衣文を駆使した、深く自在に刻まれた衣の襞、腹部や大腿部の充実した肉取りなど存在感あふれる造形が特徴である。
  • 江戸時代には、元興寺五重塔(現在の塔跡)に安置されていた。


五重小塔
Five-storied small pagoda
国宝
元興寺 五重小塔
(引用:元興寺公式ガイドブック「わかる!元興寺」)

  • 三間五重塔婆 高さ5.5m
  • 本瓦形板葺
  • 天平時代(8世紀)作
  • 斗や肘木を一つずつ作り、仕口も実際と同様に切り込んで、実物と全く同じ技法で組み立てられている。
  • もとは本堂内に据えられていたと推定。
  • 明治40年(1907)に奈良国立博物館に委託、その後昭和40年(1965)に完成した収蔵庫に戻された。
  • 塔の内部には昭和40年(1965)にスリランカからもたらされた舎利(仏舎利)が納められている。
  • 五重塔を建てる時につくられた模型と推定されてきたが、構造図を確認すると似ていなかったことからその可能性は否定された。
  • 伽藍配置から西大塔の位置に「小塔院」が配置されていることと海龍王寺で小塔が本尊として祀られていたことから、「小塔院」の本尊という説もある。

智光曼荼羅図
  • 奈良時代には智光曼荼羅は成立していたと推定される。
  • 平安末期より極楽浄土を願う浄土教信仰が広がり、智光曼荼羅が脚光を浴びるようになる。
    ⇒ 『七大寺日記』などの貴族の日記や『覚禅抄』などの仏教書に登場する。
    ⇒ 智光曼荼羅図は1尺(約30cm)四方であったと記述あり。
  • 宝徳3年(1451)の土一揆より発生した元興寺周辺の火災の時に難を逃れるために移した禅定院で建物もろとも焼亡した。
  • 数種類の智光曼荼羅図の写しが残っている。


板絵著色智光曼荼羅図
Color illustration of Chiko Mandala painted
on a board
重要文化財
  • 板絵彩色 額装(縦217.0cm 横195.0cm)
  • 鎌倉時代
  • 天部や如来が舞い奏でる舞楽段の左右の橋上に智光と礼光と考えられる二比丘像が描かれる。
  • 初期の写しと考えられ、2代目智光曼荼羅図と評価されている。
  • 以前は須弥壇上の厨子背面にあったが、現在は収蔵庫に納められている。

元興寺 板絵著色智光曼荼羅図

(引用:元興寺公式ガイドブック「わかる!元興寺」)


絹本著色智光曼荼羅図
Color illustration of Chiko Mandala painted
in a miniature temple
重要文化財
  • 絹本著色 額装 描表装(縦53.3cm・横47.3cm)
  • 春日厨子(高さ93.1cm)に収納
  • 明応7年(1498)作
  • 禅室の「春日明神影向の間(智光曼荼羅が禅室の経蔵にあったころ、空海がそこで修業しているときに春日明神が現れたという伝承がある元興寺の一室:『元興寺別院極楽坊縁起』)」に置かれている。
  • 阿弥陀仏・二比丘像は板絵本と同様である。

絹本著色智光曼荼羅図

(引用:元興寺公式ガイドブック「わかる!元興寺」)


軸装著色智光曼荼羅図
Hanging scroll of
Color illustration of Chiko Mandala painted
県指定文化財
  • 絹本著色 軸装(縦200cm・横150cm)
  • 室町時代
  • 長谷寺能満院に残る智光曼荼羅図と元々は一具。
  • 阿弥陀仏は説法印を結ぶ。
  • 二比丘の姿は描かれていない。
  • 極楽堂(本堂)の須弥壇上の厨子背面にある。
  • 極楽往生を願う仏事の際、堂内の四方に掛けて浄土を演出した掛け軸と伝わる。

元興寺 軸装著色智光曼荼羅図

(引用:元興寺公式ガイドブック「わかる!元興寺」)

 年間行事

伝統行事
時期 名称 適用 詳細
1/1 修二会 本堂
2/3 節分会 本堂
春分の日 春季彼岸会 本堂
5/8 花まつり 本堂
5/27 中興開山忌
5月末~6月第1土曜 扇供養
7/7 蛙石供養
7/28 肘塚不動尊供養
8/23~24 地蔵会万燈供養 詳細ページ
秋分の日 秋季彼岸会 本堂
10月末~11月初旬 秋季特別展
10/28 幽玄忌茶会 泰楽軒
12/8 仏足石供養

 案内

住所

  • [極楽坊] 奈良市中院町11
  • [大塔跡] 奈良市芝新屋町12
  • [小塔院跡]奈良市西新屋町45

交通

  • 近鉄奈良駅 ~ 徒歩15分

拝観 詳細

  • 時間 9:00~17:00
  • 料金 500円(特別展の時期は600円)